人生において、こんなにも行き当たりばったりの1年は初めてだった。年明けに海外に行く(逃げる)ことを決め、大学院を3月に卒業し、一回実家に戻ったのち5月にベルリンに引っ越した。
海外に住む
到着した5月は、もう夏って感じで電車もサウナ状態。完全に日本より暑いじゃないかとひーひーしながらも「海外に住む」ということ自体の喜びでワクワクしながら1ヶ月過ごす。と思っていたけれど、もともと臆病で、今までの人生、先が分かりながら(わかるようにしようとしながら?)生きてきた自分にとって、この先が見えないことで毎日不安になる。今もそうだけれど、ベルリンに到着した当時は、語学もわからない・職もない・知り合いもいない状態だったので、なんとかここで踏ん張るしかと、臆病なところから踏ん張って色々抜け出そうとした。
とりあえず、半年は生きることに必死だった。VISA申請から家を見つけるまではまさにRPG、ゲームのような日々。VISA申請は、日本でやりたかったもののもう予約がいっぱいで日本ではできなかったためドイツですることにしようと思っていたけれど、まずVISA申請に必要な書類(4種類ほど)を手に入れることが大変。日本だと一瞬で終わるような手続きも、海外から来た人というカテゴリと言語の壁で、基本3回ぐらいその場所に通わなければいけなかった。例えば、VISA申請に必要な銀行口座は、パスポートと住民登録書を持っていけば作れる。でも、まず住民登録ができる物件を探すのがベルリンでは大変。というのも、現在ベルリンは物件不足で、賃貸サイトで物件を見つけてもその物件に100件以上問い合わせがくることもざら。そこから、担当者が、選定をして見学日の連絡をする。外国人で職がない私は、もうその時点で確実に候補から除外される。なので、特に外国人は、知り合いづてか日本人の現地情報掲示板などで物件情報を見て情報を入手するしかない。ただ、現地情報掲示板では、今のベルリンの物件不足を理由に、家賃をとんでもない価格にして掲載している人も多いという状態。しかし、知り合いがいない私の手段は日本人現地情報掲示板しかない。笑
自分が外国人になる
そして、無事決まり大家さんからサインもらって市役所に行き、住民登録書をゲット…してからのやっとのこさ、銀行に行くとパスポートに入国スタンプが見当たらない(ヘルシンキでEUに入るときに日本人は電子ゲートでOKだったからスタンプもらわない)からダメ、VISAカードをもってこい(イヤイヤVISA申請に銀行口座が必要なんだよ・・・)と言われる。もう一つずつアイテムを集め、ラスボスに立ち向かうけれど、そこでまた倒されてレベルアップするためにアイテムを集めるみたいな感じ。まさにこれが海外なのか、と「自分が外国人になる」ということを痛感する毎日だった。
単純に日本に住む外国の人って凄いな、コンビニの店員の方も海外の方増えてきたけれど、日本語話せてるし、語学も話せず、海外に来てしまった自分とは・・・と、先の見えなささに海外に来てヤッホ〜どころか落ち込むことが多かった。
しょうがない
そして、そのラスボス(ドイツのVISA申請時の職員や市役所の職員)も全て書類が揃っているにも関わらず、その人の判断で許可になる、ならないこともある。つまり、どんなに理屈が通っていても「しょうがない」と思うことが多々出てきたのがもはや新鮮で面白い。割と日本にいたら、割と理にかなっていることしか起きない(と言いつつ、日本の政治は最近に理にかなってないことが多々ありますが・・・)これが足りないから、とか営業時間が過ぎている、など納得できることが多い。でも、ベルリンに来たら、どんなに理屈が通ってなくてももう如何しようも無い事が起きる。そんなときに、初めはかなり苛立っていたけれど、途中から何かおかしいことが起きても「しょうがない」と良い意味で諦めがつくことができるようになった。それが自分自身成長したな、と感じることだった。
そして、VISAなしで滞在できる期間のギリギリに迫ったところで無事VISAを7月に取得。
一歩踏み出る。
そもそもベルリンには、大学院で研究していたプライバシーに関する活動についてもっと踏み込んで勉強したいということからだった。確かにベルリンは市民からの活動が盛ん。が、しかし、そもそもその活動に参加するための自分の語学力の無さがない。英語は日常会話レベルでできると思っていたけれど、思った以上にできない、ドイツ語は皆無。ということを痛感し、6月からはドイツ語学校にとりあえず2ヶ月。8-11月は英語学校に通った。でも、語学ができないながらももう踏み込むしかない、とビビりながらとりあえずいろんなコミュニティや活動に参加する、日本にいる時からめちゃくちゃ研究の参考にしていた先生に会いに行くなどした。日本にいたら、もうそんなビビることがないことも、言葉の壁がある中で一人で踏み込むのは、私にとって一番体力がいることだった。そして、思った以上に話せなくて家に帰って悔しくて発狂みたいな。
自問自答
途中で日本食のバイトも始め、何で仕事辞めて、大学院入ったのにベルリンで何でバイトをしているのだろう。。。と正直、何度も思った。そして、日本で普通に働いてれば、こんな辛いことを味わずに済むのに、何で私はあえて人生いばらの道を歩んでいるのだ、イヤイヤでもここにきたからには進むしか・・・と自問自答をしながら暮らした8ヶ月。割と、楽しかった思い出よりも悔しかったり、マジでどうしようもなくなり、うなだれる思い出の方が多かったけれど(笑)だからといってベルリンにきたことを後悔していることは全くなく、この8ヶ月は、人生の分岐点というか、多分次のステップの地盤固めだったと思う。こんな体験は、人にとってはしなくても良い経験かもしれないけれど、きっと私にとってはこの経験たちが身となると信じたい。。。ベルリンでお会いする方も、やっぱり3年住んでやっとベルリンのことをわかってきたというくらいなので、あと数年はここで踏ん張りたい。
まだ1年も経ってないけれども、1,2月日本に帰るため、ベルリン第1章として、ここに記録しておく。