2年ぶりに日本に帰省した。1ヶ月いる予定が1ヶ月延長して、2ヶ月の滞在。正直、最初の1ヶ月は旅行ばかり行っていたので帰ってきたと言うよりはずっと旅行をしているフワフワして、考える時間が全然なかったので、2ヶ月いることで、色々自分の整理の時間になったと思う。
そして、今回を機にあらためてブログを再開することにした。手帳の後ろのメモに日記を書くことは多かったけれど、やっぱりその日記を遡ることで自分が忘れていた思い出やその時の気持ちを改めて見れることの意義も感じたので、ここは自分だけと言うよりも誰でも見れるという点が違うけれど、生きた証(?)を誰かに見てもらいたいということもあって、ここに書こうと思う。
根本的に私は日本語、文章を書くのが下手だ。それを承知でもし万が一この呟きたちを見る人がいたら読んでほしい。
私はちょうど一年前にロンドンに引っ越した訳であるけれど、特段何か目的があったわけではなく、単純にワーキングホリデービザが当たったから。大学院を卒業して、このまま日本で過ごすのか〜と思った時に、あ、海外に行ってみても良いんじゃないか?と言う気持ちが頭をよぎり、えいっとベルリンに引っ越したのが最初。だから、大学院留学!とか就職!とかそんなたいそうな感じではなく、ふらっと行った感じ。その時は28歳になる直前で、30歳になったら日本に帰ると決めていた。(それが現在31歳になり、ロンドンにいるという流れになるわけですが…)
ベルリンに行った主な理由は元々、大学院ではインターネットのプライバシーをテーマに研究や制作をしていて、ベルリンに尊敬する教授がいたので、その先生に会いたかったのと、海外で作品を作るとはどういう感じなのか、メディアアートが盛んなベルリンがなぜか気になったから。
私は大学院に行くと決めた時に、日本の社会のレールから外れることをヒシヒシを感じて(当時25歳)今、思えば全然若いじゃん!と思うかもしれないけれど、その時、私はとても覚悟をして作品を作っていくんや…と思っていた。つまり大学院ではずっと気を張っていたんだけれど、無事卒業して、中々飛躍できず、日本から逃げたのではないかと自分を責めることもたくさんした。そもそも才能がないのだから、大学院なんか行かずに働いていた方が生活も豊かだったし。でももう後戻りもできないというか、また普通に働くことに対しての恐怖。そのまま、日本で働いたら、きっと私は大学院行ってもだめだったんだ、と落ち込んでしまうような気もして、八方塞がりの中、このループを抜け出したくて、日本という環世界(?)から抜け出した(逃げたとも言う)
ただ、英語もドイツ語も話せないなか、ベルリンに行って、何かが劇的に変わることはない。知り合いもほぼいない中、むしろ海外にいた方が、私は何ができて何を作ってきたというアイデンティティが大事で、その上で「ぐいぐい自分から行く」姿勢が求められた。もちろん、優しい知り合いの方がメディアアートのイベントに誘ってくれて行ったりもしたけれど、チキンになって中々話せず、そうなっている自分が辛くて、どんどん行かなくなってしまった。本当にこう書くと、完全に私のミスなんだけれど、私はそこまでマッチョさがなかったし、日本で賞を取ったわけでも美大を卒業したわけではない自分が、恥ずかしくて、自信がなかった。それでも、教授にアポイントを取ったり、アルスのインターネット闇市に作品を出展したりして、どうにか現状を変えようとした。
そのおかげで、半年後姉の結婚式で、日本に帰った際に、教授の出るトークショーで話す機会をもらうなどして、少しずつステップアップしていった気がした。
もちろんその間にドイツでバイトを始めたり、ドイツ語の語学学校に行ったりとして、生活の地盤をつけようとした。今思うと、まず何も考えずにぽ〜んとベルリンに行った計画性の無さはあるけれど、あのタイミングで、えいっとやった自分のパワフルさは結果的にはよかったのかもしれない。
ただ、今思う反省は、もう少し、語学が話せない中でも、作品をたくさん作ってきたのだから、賞を取った取っていないに関わらず、自分から自信を持って自分の作品を見せていくことをするべきだったと思う。ベルリンに住んでいる大学院の先輩に会った際に、自分から自分の作品の重要性をガンガン伝えていく(営業する?)ことをしていたのを見て、圧倒されたし、誰も自分のことを知らない中で、自分を売り出して面白いって思ってもらって、中に入っていく努力をするべきだった。
そして日本に帰った際に、パンデミック始める。姉の結婚式が2月で横浜に停泊していた船で大量感染が広まり、飛行機が全て欠航。ドイツに帰れなくなった。ベルリンの部屋も借りたまま、荷物もそのままな状況で、意図せず日本に留まることになる。全世界が初めての経験で、たまたま日本にいたことが救いだったけれど、それでも日本に仕事がない状況で、ベルリンの部屋の家賃を払い続けることになる。10年ぶりに両親と同居して、何もできない自分に嫌気がさし、ついには寝られず鬱になった。
この経験は自分にとって大きかった。家族とも亀裂が入ったし、誰も理解してくれないと思ってしまった状況で、もう日本には住めないけれど、お金もないし。逃げるように7月はベルリンに戻った。そこから、どう地盤を作っていくかに注力した2年間だったと思う。
まず、もう作品や研究は一旦脇におき、どうここで生きていくか、考え、お金と言語、そこを中心に攻めていくことにした。なので、毎日語学学校に行き、現地でバイトをする日々。ところが、7月にきて、半年。新しいバイトやドイツ語に必死の中12月になり、またパンデミック。全てが閉まった。ラッキーだったのが、10月に奇跡的にめちゃくちゃ安く、広い一人部屋を手に入れることができそこで生活できたのは、自分一人で生活できている感があって密かな幸せだった。パンデミック中に彼氏ができて、家も近かったので一人ではなかったのも大きい。加えて、前職の友人が日本から仕事をくれて、なんとか生活も安定してきたので、前回日本にいた時のような鬱感じはなかった。(ただ、途中で鬱ではないと思うけれど、ストレスでご飯が食べれなくなり栄養失調になって頭に500円玉2枚分ハゲになった)
ただ、その日暮らし感。今後どうなるかわからない状況で、なんとかせねばいかん。海外に来た目的を失いかけている自分に嫌気がさしていた。ベルリンは自由ではあるけれど、悪い意味で、自由すぎて、なあなあでも生きける。つまり、目的を失いながら、緩い方向にどんどん行けるのが、悪い点。このまま、そうなってしまうのではないか、と言う恐怖で、どこかで、もう一度踏ん張って海外で方向転換したいと思うようになってきた。
そこで、12月にふと文化庁のアルスセンター派遣制度の募集を発見する。私は大学院時代にアルスのあるオーストリアリンツに留学したこともあったのと、アルスのイベントで展示したことがあったので、ぜひ行きたいと、応募することにした。書類検査からビデオ面接が何回もあり、最終面接まで行った時、手応えがあり、これは受かったと内心思って、全然連絡していなかった親にも報告した(早い)が、なんと落ちる。
かなり、気合を入れていたのもあって、1月これからどうしよう〜と思っていた時に、まさかのたまたま出していたイギリスのYMSビザ(通称ワーホリビザ)の当選連絡が。(しかも彼氏も)
ベルリン戻った後も結局、半年ロックダウンで家にいながら、仕事をして、英語も勉強していたけれど中々上達していなかったのと、ベルリンのビザも更新のタイミングだったので、このビザが当たったのも何かの縁だと思い、イギリスに引っ越すすることを決意した。なのでいろんな方になんでイギリスに住んでいるの?と聞かれることが多いけれど、本当に「タイミング」が合ったからとしかいえない。もちろん、当たっても行かないと言う選択肢もあるけれど、このままベルリンにいて、英語もままならず正社員などになれる自信がなかった私は、イギリスに行って、きちんと英語を勉強して自信をつけて、ベルリンに戻りたいと思っていた。ここまで書くと、え?英語を勉強するためにイギリス行くの?ベルリンでも勉強できるじゃんと言う、すごいマウンティングでくる人が何人かいたけれど、「ええやん…私で決めたことであなたに全く迷惑もかけてないのに、なんでこんな突っかかってくるんや…」みたいなこともある(話が脱線しました)でも、そんなこといちいち気にしていたら、また落ち込んじゃうので、ベルリンでVISA申請やらをして、ちょうど日本から戻りベルリンに1年住んだタイミングでロンドンに引っ越しました。
2021年8月からは奇跡的に日本の仕事は続けさせてもらいながら、ロンドンで約半年語学学校に通う。あまり上達したかは分からないけれど、毎日必死。勉強しながら、この物価が日本のほぼ2倍のここで生きていくのか〜と、もうギリギリの生活を送っていた。そして、冬には安定のコロナ感染者数爆増で、私も12月にコロナにかかり、彼氏とも別れ(彼氏は元々ロンドン滞在は3ヶ月の予定だったので遠距離になっていた)その後、現地でバイトも始めながらなんとか生きる日々。2月に語学学校が終わったときに、毎日の学校がなくなったので、いきなり自由な時間が増え、自分のことを考える時間が増えた。そして、また今後のことを考えたときに、これからも海外に住むにしても正社員になるのは厳しい現実を目の当たりにして、どうにかキャリアチェンジというか、海外できちんとキャリアを積むための下準備をしなければいけないと思うようになり、ぐるぐる考える日々。
日本から戻ったときは、一旦作品作りや研究は置いて、きちんと生きていく術を身につけようと思っていたけれど、このままで良いのか?きちんとやりたかったことをしつつ、きちんと収入を海外で得る方法はないのか探り始めることにした。
もちろん、マッチョに作品勝負!アーティスト一本!で生きていく人もいるし、そういう生き方も全然ありだけれど、私はきちんと海外で正社員となって、お金を稼ぎながら作品を作っていきたいと思ったので、海外で正社員になることを決意。ロンドンは、ベルリンと違って物価が高いけれどその分、会社もあるし給料も高い。だから、ロンドンできちんと収入を得られるレベルになったら、ベルリンに戻りたいと。もちろん職を選ばなければ正社員になる道は広がるし、全然それもあり。でも、もう一度自分の興味あることをチャレンジしたくそのために、ここで大学院に入り直して、きちんと学び、かつ箔をつけることが重要なのでは?と思い、ここで大学に行っている日本人にも話を聞いたりして、3月中旬に大学院受験を決め準備に取り掛かる。
4月中旬が願書締め切りだったので、もう受かるのは半ば無理だろうと思いながら、後悔はしたくないと一旦ポートフォリオや志望書など揃え、提出。ロンドン芸術大に私の興味ある学科があったので、第一〜第三希望までのコース3つ出し終えて、そこから書類審査を通り、zoom面接からの第一志望から合格をもらうことができた。日本に帰る直前に第一志望の面接があり、胃がキリキリしながらプレゼンの準備をして、結果は2週間後と言われたのに2週間経ってもこなかったため、日本にいた6月は毎日結果が気になりながら過ごしていた。特に6月の3週目に沖縄に行く予定があったので、そのタイミングで第三志望の面接が入り、沖縄にPCを持っていき、wifi環境が沖縄の家にはなかったので、どうしようと思っていた時に、出発前々日とかに第一志望の結果がきたので、本当にギリギリの合格連絡で力が抜けた。
ただ、私は、入学条件である英語レベルの証明書がなかったため、IELTSを10月の入学までに取る必要があった。結果がきたのが6月中旬で、元々6月末にイギリス帰る予定だったが、もう1ヶ月日本に残って、日本でIELTS取ってしまいたいと思い(色んな人から日本で受けたIELTSの方が簡単だったとの噂を聞いたので)2ヶ月滞在となった。私の航空券は日程変更不可のチケットだったのだけれど、飛行機の時間が変更になり、その場合のみ一度日程変更ができるということでラッキーなことに1ヶ月後に変更することができた。そして、7月はひたすら受験生のように勉強し、2回目のテストでなんとかスコアが取れ(ギリギリ!)イギリスに戻る。しかも結果が来たのがイギリス戻る2日前とかだったので、心置きなく日本楽しめたのは7月は2日だけ(笑)
この日記の目的は、日本滞在で感じたことを書こうと思ったけれど、めちゃくちゃ前置き、もはや自分の心の整理をこめて今までのことをつらつら書いてしまった。でも、こういう経緯を辿った上での2年ぶりの日本はかなり考える機会となった。
まず、30代になったことが大きい。20代は、「いけいけどんどん」で行ったけれど、30歳すぎたあたりから、気合いで頑張っても体力がもたなかったり、いちいち足元を見て、これで良いんだっけ?後悔しないんだっけ?と思うようになった。慎重になり始めたというか。
それが日本に帰って、色んな人に一気に会って、より一層私にとって優先順位は何か決めて進まなければならないと思った。もう30代になると、会社に勤めている人だと、割と後輩も増えて安定して、結婚して子供ができて〜みたいな流れになっている人も多くなり、2年ぶりに帰った私は、身体や体力は同じく衰えているのに、内面?精神だけ20代見たいな感じで浦島太郎状態になり、ある種自分が恥ずかしくなってしまった。現実見なよって、誰からも言われていないのに、自分で思っちゃう感じ。
私は、今後結婚もしたいし、子供も欲しいからこそ、このまま大学院にもう一度行って、卒業して一から働くってなった時の覚悟が必要。
そして、いなかった2年でもどんどん変わっていく東京の街とトレンドを見ながら、ミーハーな私はとても楽しいけれど、なんか操られている感覚。こういうメディアや周りの雰囲気に押されながら、働いて、お金使ってのループ。このままで本当に良いのかという疑いも出て、ここにはずっと住めないとも思った。時々来て、楽しむぐらいが良いのかもしれない。一方、岐阜・京都・沖縄と旅して、結局私もここ数年、ベルリン・ロンドンと首都に住んでいたから視野が狭くなっていたということもハッとした。国は違えど、人が密集しているところで住んでいたので、首都ではない地域の雰囲気。
そして大学院過ごした岐阜で自然の中で住む友人の家に泊まったり、大学時代過ごした京都で、のんびり歩きながら歩く。寺に座ってぼーっとする。幼少期過ごした沖縄の家で、クーラーつけながらテレビを見る。など、自分の過去を辿りながら、観光というよりも住んでいた時の感覚で過ごす感じが、なんというか言葉には言いにくいけれど、愛おしいというか羨ましい。この2年間、海外で無意識にずっと気が張っていた場所が解された感じがした。
どんどん街は変わっていくけれど、変わっていない部分はそのまま。2年ぶりに帰ってきても、何も変わらず生活して、お店行って近くのスーパー行って。友達とも2年ぶりだけれど、昨日会ってたようにゲラゲラ笑って、今まで過ごしていた何気ない瞬間が、愛おしいな〜と思った。「何かを成し遂げる!海外に住む!」という目標があって、それを達成していく楽しさもあるけれど、それで身体、精神ともにボロボロになるくらいだったら、日々の生活の中で幸せってあるよな〜という至極当たり前のことをひしひし感じた1ヶ月でした。
前回日本に帰省した時は、思いがけずコロナのせいで半年も日本にいたので、早くベルリンに帰りたいと思っていたけれど、今回は、もっと日本にいたいという気持ちが芽生えたのにもびっくりした。
という感じで、右往左往しながら過ごした海外2年間と日本2ヶ月間の滞在。毎日バタバタ過ごして気づかなかったけれど、文章にすると色んなことがあったな…と。
散々日本良かったと書きながらも、こうやってロンドンに帰ってきて、これから大学院に行くと決めた。日本で色んな人と話すことで、私ってそもそもなんで海外に行ったんだっけ?とか、何がしたいんだっけ?と考えたことで、やっぱり海外でもう少し頑張りたいと。前述のように2年間海外に住んで、経験したこと反省することがあったからこそ、ここからあともうちょっと、最低2年ぐらいはここで頑張りたいという気持ちが、日本にいたい気持ちよりも優っている。
だから、またここからリセットして、頑張りたい。