このブログでは、修士研究の流れについて忘備録のため記載していこうと思います。
もともとIAMASの入学理由は、「地域において情報格差に関する調査やその差を埋める活動をしたい」という理由で入学しました。
その理由としては、仕事をしていて、広告配信をしている際に、インターネットの知識を知っている上で活用している人と知ってないで使用している人との差を目の当たりにして、これからデジタルの知識を知っている人と知らない人との間の格差が広がっていくのではないか、ということと、その知識を知っている人や仕組みを作っていく側の都合に合わせられてて、実社会の格差も広がっていくのではないかという懸念からでした。また、グローバルに都市が地方に向けて最適化をしていく、(地方にイオンを作りまくるとか)のではなく、きちんとそれぞれの地域に合わせローカル最適化をすべきなのではないか、と思いました。その中で、テクノロジーは今後切ってもきれないものになるのではないか、と思い、せっかく自分自身が大学や仕事でインターネットやテクノロジー関連のことをやっていたことからそれを生かしていきたいと思いました。
特にコミュニティ作りに興味があったのでヨーロッパの地域に根ざした活動やコミュニティ作りをしている方々に取材、見学をしたく、オーストリアのリンツはアルスエレクトロニカセンターという、テクノロジーを通じて地域のコミュニティ作りを考える施設があったので、学校の交換留学でオーストリアのリンツに3ヶ月間留学しました。
そして、リンツ芸術大で客員教授をしてらっしゃった藤幡先生に研究のことを話したら(本当に無知な相談をしてしまったと今、めちゃくちゃ恥ずかしくなってる)ヨーロッパの広場についてリファレンスをくれ、日本には広場の概念はないけれどヨーロッパにおける広場の役割(今だったら日曜は蚤の市やイベントやっているけれど、昔から広場は政治の絡まない人々の集まる場として成り立つなど)を教えて頂き、そこから広場に興味を持って、色んな国の活動を取材や見学に行きながらも、広場も探す日々になります。
ただその広場は単純な空間としてではなく、人が集まる場って意味付けてます。
それは入学理由の情報格差にも繋がる話だと思っていて、前職でインターネット関連をしていたからこそ情報の知識あるなしで入手できる情報は変わるし、その情報の内容によってすぐに左右されるな、っていうところに興味を持っていたからこそ、情報格差を「場」を作ることでお互い話す機会を作って、格差を減らしたり、時にはシャッフルできるんじゃないか、と思ったから。だから、リアルな空間に限らずデジタル上にも広場って作れるし、もっと大きな枠組みで色々できるんじゃないかな〜とふわっと考え始めました。
そんなことを考えながら、日本に帰国後、WIREDのダイバーシティ特集の巻頭記事で若林さんが「フィルターバブル」について述べていた時に、私がずっとモヤモヤしてたことが一言でこれだったんだという衝撃を受ける。
フィルターバブルはインターネット活動家イーライパリサーが述べた「インターネットのアルゴリズムによって、自分と似たような趣味嗜好や意見の人の情報しか集まらず、自分の見たい情報しかない状況」を表す言葉ですが、私が働いていた時にモヤモヤ疑問に思っていたことはこれだ、と(勝手に笑)思いました。
そもそもIAMAS入学前に勤めていたインターネット広告代理店で、自分自身がインターネット広告のターゲティング、つまりfacebookやtwitterなどのインターネットメディアを使用することで、自分の知らないうちに(詳しくはプライバシーポリシーに小さく記載されているけれど結局読む人は少ない)現在地や性別、年齢、趣味嗜好などの個人に関する情報取ることでそれをクライアントに売買してインターネット広告をユーザーに合わせ配信することに携わっていることに、あれ、これ世の中的に私は良いことをしているんだろうか・・・(とはいえ仕事で給料もらってるし・・・)みたいな状況になり
その時に、自分の知らないうちに自分のデータからターゲティングされ、いつの間にかそれによって商品を購入していることに対して、疑問も感じる訳です。
もちろん、できる限り自分の好みに合った商品の広告が出るなどといった良い面もありますが、それよりも個人に関する情報が取られることによっていつの間にか自分の考えが変えられてしまうこと、つまり情報操作にもなり得るのではないかと思ってて、それがまさにフィルターバブルなんだってこの言葉を知って衝撃を受けました。
(それが話題になったのは特に、トランプ大統領の選挙活動でfacebookからのデータ流失によって手に入れたユーザーの情報を用いて、トランプ支持や逆に相手の悪い情報を広告として配信していたのではないか、という疑惑)
そんなこんなで留学直後にフィルターバブルという言葉を知って、その時構想していた広場(人がふらっと集まってしまう場)をリンクさせつつ、じゃあフィルターバブルから脱出できる方法を探ろうとなったのが、本研究の本格的な始まりになりました。
そこからは、 東浩紀の「観光学の哲学」に影響されて
旅行に行かなくても「身近な環境野中でも偶然をうみだし、普段気づかなかったものはことを発見できることができるのでは」、とフィルターバブルの脱出へのキーワードとして「偶然」と「広場」に着目し、3月の1年生の発表に向けてぐるぐる考え作品を作るに繋がります。
M1の最後に展示したアイデア群。
この中の充電スポットは、私も結構気に入った作品で、構想終わった後も同期が作品きちんと作ろうって言ってくれたので、ひっそり制作続けてました。
そして、東京ミッドタウンアワードに(先生にバレないよう笑)ひっそり出したら、2次選考(12人中6人東京ミッドタウンで展示ができる)に行けたので、夏も作っていました(笑)特に去年の夏は、東京ミッドタウンで展示できるかもってなってもう必死で作品を作っていた時期ですね。。。結局落ちて、封印したけれど。
ただ、この後フィルターバブルからの脱出ではなくて、フィルターバブルとは何かというところをより掘り下げるべきでは、という意見が多々あり、もっとフィルターバブルができる大元、それこそ前職でやっていたことをもっと研究することに…
まさか会社を辞めた後に、パーソナライズについてめちゃくちゃ勉強することになるとは思っていなかったですが(笑)
2年生の時は作品を一つをどう詰めていくかに専念してぎゅっとやっていました。
個人情報の概念っていつから生まれたのか、そもそもメディアとはなんなのかメディア論を中心に文献調査をしつつ、作品も作って行きます。
もともと、色んなことに興味を持ちがちなので、途中で違うの作りたいな、、、なんて思った時も多々ありましたが、そこは先生に一つきちんと完成させようということで、ふわっと違うところに行きそうになったら戻されるみたいな感じで進めていった気がします。笑
4月の構想発表では、個人の情報に関する作品を4点展示しました。
そこから、プライバシーに絞って研究を進めて行きます。
それが、プライバシーらくらく。
プライバシー設定を楽に設定変更し直せるデバイスがあったらいいのではないか、
(そういう未来がありえるかもしれない)という意味合いで本作品を制作しました。
(特に、CMは広告批判も含め制作)
そこから、いわばスペキュラティブデザインになりますが
将来インターネットがリアルの生活と同じくらい重要になってくる中で、生命保険のようにその人のインターネットの生活をサポートする会社があってもいいのではないかということから「ネットと暮らし研究所」という会社(フィクション)を作り、その中で動画を制作したりしていました。
それが、予備審査1までのことで、
そこで発表した際に、スペキュラティブデザインの弱さというか、曖昧さが際立つという意見をもらいました。
だったら、実際にプライバシー設定を一発で変えられるものを作るのはどうか、
そこから、予備審査2、本審査までの2ヶ月は思いっきり方向転換をして修士作品を制作するに至ります。
実際にプライバシー設定を変更できるようにするとなると、まず技術面が私の範疇を超えている…
かつ、作品を展示するに当たって修士作品を見るまでの前提、なんでプライバシー設定をすることが必要なのか、を展示したいと思ったのでそれの展示準備もある。
加えて、ドバイの展示が本審査の前1週間(しかも会期終了が本審査の2日前 笑)まであったので、 本審査の11月はもうあまり覚えていない状況で制作をしていて、2ヶ月は大パニック状態に陥りました。もうあまり覚えていない。
そうしてできたのが、修士作品PrivacyONです。
過去に作った作品のテーマを継承しつつも、実際にインターネットの使い方に合わせてfacebook,twitter,googleのプライバシー設定を変更できるようになっています。
卒業までは中間審査、予備審査1、予備審査2、作品本審査、最終審査(論文審査)と5回審査を通らなければならず、それぞれの審査の数週間前から学校に寝泊まりする日々が続きます。
2年生は、今思うと本当に審査が4回ある中で、審査が全てではないけれど毎回身を削って今考えているベストを発表したい、、、と一回も妥協せずに何か女性として大事なものを失って行きながら研究・制作していた気がします。笑
でも、制作内容とはずれるけれど、1回気を抜いたら後悔する気がして、ずっとこの1年は、弱さとかそういうところを無理やり押し込んで体力勝負でやったところがあるな〜と思います。その分、反動が酷くて発表あとは抜け殻になったり、情緒不安定になったりしたけれど、でもそれを誰にぶつけることもできず(岐阜で友人もそんないないし)変な力が身についた気がします。それがいいのか悪いのかわからないけれど。
特に予備審査2後から作品本審査までの1ヶ月が時間なさすぎてキャパオーバーに陥りましたが、なんとか。
最終審査が終わってからは、卒業展示と、卒業後のことは考えられず
てんやわんやしながら、2月末に卒展が終わったら、すぐ卒業式!
そしてみなさまさよなら〜状態になるので、もうそんな考える暇もなかったのが正直なところですが(笑)改めて今後について考えた時、こうやって会社を辞めて、大学院入ることを決めたから、今後はきちんとこの大学院で勉強したことを軸に頑張りたいと思うことが結構あります。
やっぱり、自分の軸としてはコミュニティ作りだったり、テクノロジーに対してただ促進していくことを考えるのではなく、一回立ち止まって考える機会だったり、周りの人と話す機会を作って行きたいな〜と考えた時に 、研究内容もヨーロッパ、特にベルリン・エストニアが進んでいるので一回この機会に語学を勉強することも踏まえ行って勉強しようということでベルリンに行くことを決めた流れになります。
まだ、ベルリンに来て数週間ですがきちんと研究しつつ、仕事もしてしていければいいな〜と思います。