みるみられる (2015)

 

誰かをみる、誰かにみられるという関係性には2種類あると考える。まず一つに視覚的に「見る見られる」というものである。これは町中にある監視カメラなどや自分の顔をいつの間にか見られているという視覚的に自分が誰かを見たり、誰かに自分が見られる行為をいい、つまり物の形や色を目で感じる、判断するということである。そして二つ目は内面を「みるみられる」である。これは他人の性格をみたり、誰かに自分の性格をみられるという意であり、視覚的ではないためひらがな表記のみるみられるとなる。人をみる・人からみられることについてリアルとネットでの違いを作品として表現しました。
 顔華鏡 本アニメーションは facebook などの SNS にて人にみられるからこそ、自分の 姿を変化させる様子を万華鏡のインタラクティブ映像にし、制作。体験者は顔のキャプチャを10秒間最初に録音すると、今まで本作品を体験した人の顔にかぶさっていき、どんど ん人の影響により自分の顔も変化していきます。そして、映像の前に web カメラも設置し、 リアルタイムに投影することで、今映像をしている自分を客観的にみつつ、自分の顔が変 化する様子もみることができます。
投影される映像は3種類あり、一つ目が中心の自分の顔が6つに分割され、今まで本作品を体験した方々の顔と合成されるものである。(①)二つ目は今まで体験した方々の映像を六角形の一つの正三角形に一つ、割り振り最大6人分の映像を一つ六角形にした。(②)。三つ目は机の上に設置されているWEBカメラから映し出されるリアルタイムの自身の映像を二つ目と同じ構成ではめ込んだ。(③)なぜこの3種類にしたかという理由は、まず③の映像はWEBカメラから取り込まれた映像であり、いわば本当の自分といえる。それが②の多くの人にみられることにより、①の本来の自分ではない、また違った人に変化するというのを3層構造で表している。